2011年09月

再び、萩へ(47)(親ごころ)

1b8732a0.jpg <<親おもう こころにまさる 親ごころ
   きょうの音づれ 何ときくらん>>(寅二郎)

 「寅二郎」は吉田松陰の通称。処刑を覚悟した松陰が郷里の両親に宛てた別れの書簡「永訣の書」の中で詠んだもの。

再び、萩へ(46)(薩長土連合)

b7357dfa.jpg 境内入って直ぐの左側隅、公衆トイレに隣接と扱いは小さいが歴史的には大きな会談の碑「薩長土連合密議之處」。薩摩藩の田上藤七、長州藩の久坂玄瑞、そして、土佐藩の坂本龍馬がここで日本の将来を語り合いました。

 坂本龍馬は長州藩・武市半平太(瑞山)の書簡を持って久坂を訪ねました。それに対して久坂の武市宛ての書簡には次のように記されていました。諸侯も公卿も恃むに足らず、草莽の志士を糾合し、義挙の外はとても策無し」。吉田松陰の「草莽崛起論」に通じる内容です。

再び、萩へ(45)(松門神社)

9f8556b8.jpg松陰神社ご本殿の隣には松門神社。吉田松陰の門人らをお祀りしています。

再び、萩へ(44)(松陰神社3)

 ご本殿。

 自分のご利益のためには一切祈らない。家族、日本、世界の繁栄と平和のために祈る。こう決めています。

再び、萩へ(43)(松陰神社2)

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松陰神社の鳥居は境内入口とご本殿前とにあります。

再び、萩へ(42)(松陰神社1)

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松陰神社前にやってきました。静かで穏やかな神社です。

再び、萩へ(41)(しーまーと)

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道の駅「しーまーと」には海産物を中心に萩の特産物が勢ぞろいしています。

再び、萩へ(40)(どんどん)

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 萩市役所のかたに「萩のうどんを味わって」と教えていただいた手打ちうどん「どんどん」。萩橋西詰近く。

 やわらかい麺とまろやかなスープが特徴。注文したかきあげうどんでは、少しずつうどんに入れていけば、別のお皿で出してくれるかきあげがいつまでもサクサクして美味しい。

再び、萩へ(39)(山縣有朋)

3e50dc5f.jpg 日本陸軍の中心的存在として長州陸軍閥を形成した元内務大臣・山縣有朋の像。

 この像は東京から移されてきたたものです。

再び、萩へ(38)(高杉晋作)

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 「高杉晋作立志像」と「高杉晋作誕生地」。

 身分の違いもあり明倫館で学んでいた高杉でしたが、吉田松陰の教えを乞うため毎晩こっそり、ここから松下村塾まで通ったそうです。片道約1時間、往復で2時間の道のりです。

再び、萩へ(37)(金毘羅社)

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 高杉晋作、伊藤博文の遊び場でもあった「金毘羅社 円正寺」。神仏習合であり、かつ、神仏分離を逃れた珍しい神社・寺です。

 高杉晋作は幼い頃、拝殿に掛けられている大きな赤い天狗の面で度胸を付けるための躾をされたとの逸話が残っています。

再び、萩へ(36)(青木周弼宅)

3587054a.jpg 藩主・毛利敬親の侍医や医学館の館長を務めた蘭方医・青木周弼の旧宅。

 大村益次郎を親代わりとして世話もしました。

 みなさん、ご記憶かどうか?。平成8年(1996年)に起こった在ペルー日本大使公邸人質事件時の大使は青木盛久。周弼の弟(研蔵)の養子・青木周蔵の曾孫にあたります。

再び、萩へ(35)(木戸孝允宅)

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 薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」と呼ばれた木戸孝允(桂小五郎)の旧宅。

 尊王攘夷派の木戸(桂)は、松下村塾の塾生ではありませんが、明倫館で教えを受けた吉田松陰の弟子でもあり親友です。

 2枚目の写真は、当時許されなかった二階、「隠れ二階」です。

再び、萩へ(34)(侍風ガイド)

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 女性のお侍さんとすれ違いました。雰囲気を出すため、また、観光客のガイド役としてまちを巡回しておられます。

 写真も一緒に撮ってもらえます。

再び、萩へ(33)(まち筋)

16b7b164.jpg「呉服町」、「江戸屋横町」など通りの名前を示すプレートが道路に埋め込まれています。

再び、萩へ(32)(久保田家)

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 旧・菊屋家の向かいにある旧・久保田家住宅。呉服商、造り酒屋、宿所を営んでいました。

 江戸時代前期にできた菊屋家住宅には2階がありません。参勤交代など大名を上から見下ろすのは無礼とされたからです。一方、幕末から明治初期にかけて建てられた久保田家には2階があります。

再び、萩へ(31)(菊屋家)

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 萩の御用商人だった菊屋家の住宅。現存する商家としては最古の部類、400年の歴史を持ちます。国の指定重要文化財です。

 身分によって入口が三箇所に分かれています。

再び、萩へ(30)(田中義一像)

ab3459ea.jpg萩博物館に隣接して建つ第26代内閣総理大臣・田中義一の銅像。萩からは過去3人の内閣総理大臣が出ています(伊藤博文を含めると4人)。

再び、萩へ(29)(萩博物館3)

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萩城の写真と毛利家の家紋が入った瓦。

再び、萩へ(28)(萩博物館2)

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 撮影禁止の展示物も多く博物館内の様子をお伝えするのはなかなか難しいのですが、萩と明治維新の歴史のつながりがよくわかる博物館です。

 写真は順に、萩城下町絵図(このあたりのまちの構造は当時とほとんど変わっていません)、夏みかん産業の興り(左上はご案内してくださった末永さんの祖先が遺した屋号の看板)、そして、子供達の調べ学習用資料が入ったボックス。
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