前のログでお示しした私の冒頭説明の後ただちに、教育委員各位と私とによる質疑応答、議論が行われました。
分権型教育行政を導入したとはいえ、大阪市教育委員6名と区長(24名)との議論の場はまだまだ限られています。ですから、今回、住吉区の課題について教育委員各位と議論させていただけたのはとても光栄です。それに、このような骨のある議論は行政に身を置いていてもなかなかできるものではありません。
大阪市の現・教育委員は日本一優れていると、私は思っています。
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議案第125号「住吉区の就学制度の方針の変更について」を上程。
吉田住吉区担当教育次長からの説明要旨は次のとおりである。
住吉区の学校選択制について、自宅からの通学距離がおおむね2キロメートル以内の小学校を選択範囲とする制限条項について、これを付さない自由選択制へ改正する。
質疑の概要は以下のとおりである。
【大森委員長】 議案書にも書かれているが、非常に、教育改革を進めていくという心強い考え方が示されていて、元気が出るというところです。同時に、検討にあたって詳細なデータや話し合いを受けて、今般の議案を提案いただいていることについても敬意を表します。質問としては、住吉区の就学制度の総括が必要であると、校長からもそういう意見や声があるということですが、それはどういう観点からの総括をしたいという意見なのか、紹介してください。
【吉田住吉区担当教育次長】 やはり一番根幹にあるのは、導入の是非についてです。もちろん、校長としての立場からの、導入の是非に関する意見は聞いておりませんが、やはり地域の中には、この制度の導入について、ネガティブな意見を持つ方もまだ少なからずおりますので、学校協議会等の場を通じて、校長達もさまざまな意見を区民の皆さんからいただいているので、例えば先程紹介のあった、住吉区のアンケート調査結果はどうなっているのか、区長は今後どのように考えているのかといった質問を相次いでいただいているところです。
【大森委員長】 「導入の是非」というが、既に導入されている。ということは、校長達の意見は端的に言うと「廃止しろ」ということですか。
【吉田住吉区担当教育次長】 公的な意見としては受けておりませんが、立場上そうだと思います。私の感覚ですと、やはりそのような意見を内々持っている校長はいると思っています。ただし、こうした校長連絡会の場で、区民の皆様方とか、あるいは他の校長から、「これは大阪市教育委員会の方針として導入したものなので、それを前提としてこの制度の改善の議論を尽くすべきではないか」という意見が多数を占めているという実態です。
【大森委員長】 仮に、はっきり言っていないにしろ、「総括」ということが、いったん導入した学校選択制そのものの廃止ということを希望してという意味だとすれば、それは保護者や市民全体のこの間の意識変化なり、特に直接該当するお子さん、これから小学校に入学するようなお子さんの保護者の考えがどうかというのは、もうデータから明らかです。それを否定してまで、学校としては学校選択制がない方が良い教育ができるという、ちゃんとした理屈をお持ちならば、是非ここで伺いたいぐらいです。
【吉田住吉区担当教育次長】 私が代弁するのは適切ではないと思っていますが、正式な意思表明ではございませんが、そうしたニュアンスというのは数々の会議で教育関係者からいただいているという実態があります。さらに、実務の現場で、希望される保護者に対する説明の場等で、あたかも学校の方針が学校選択制にネガティブであるかのような説明がかつてあって、区内で問題になったことも実態としてはございます。
【大森委員長】 住吉区の議案書に、「学校選択制をはじめとする改革のDNAを現在の大阪市域に承継する」云々と書いていただいていますが、まさに学校選択制というのは、大阪市の近年の、ここ何年かで進めてきた教育改革の精神を体現する一つの大きな施策、別に全国的に見れば全然目新しくはないが、体現する一つの大きな政策だった、だったというか、現在もそうだと思っています。
それはなぜかといえば、声なき声、一般の保護者、直接子どもの教育に関わる子どもや保護者の意向を大事にするということであって、地域や学校や団体の有力者の声だけで、行政が何かしらそういう声を優先して制度を決めていくというあり方ではなくて、直接その利益やその逆やらの、影響を受ける人たち、声なき声がどういったことを希望しているのかに基づいて制度を考えるというのが、学校選択制をはじめとする大阪市の近年の教育改革の基本的な考え方だと思います。
だから、是非それは住吉区においても、理解を広げていくと同時に、やはり、いいことはいいことなので、有力者の声がどうであれ、校長の声がどうであれ、もちろん聞くべきことは聞かなければいけない、校長にしろ、力のある方の声、真っ当なことは聞いていかなければならないし、より良くするために必要なことは取り入れていかなければいけないが。根本の考え方のところで相容れないという部分は、やはりそれはどこを向いて行政するのかという根本のところだと思います。
【帯野委員】 住吉区担当教育次長としては、2キロ制限条項を撤廃して完全な自由選択制にしたいという趣旨であると。
【吉田住吉区担当教育次長】 はい。
【帯野委員】 それともう1つは、この住吉区の改革を1つのモデルとして大阪市全域にというのは、これは2キロ制限条項を撤廃して完全な自由選択制にするということであるのか、あるいは学校選択制そのものをもう一度見直した方が良いのかという、「大阪市全域」にというところは、どちらの方を主張しているのですか。
【吉田住吉区担当教育次長】 その両方です。学校選択制に関しては、今、区長の判断ということで、完全な自由選択制、我が区がめざしているものもあれば、自由選択制であっても距離制限を入れているところも、同じ自由選択制でも2通りあるので、そこは、先程委員長がおっしゃったように、ロジックをどこに置くのかということで、議論はしていかないといけないと思います。住吉区だけが2キロ制限条項を撤廃して済むのかというと、そうではないんだろうと思っています。
それと、「改革のDNA」全体の問題としては、これまで、先程も事務局から話がありましたが、「アンケート調査」とか、あるいは、「フォーラム」等と称して、ノイジーマイノリティの声が集まりがちなことはやってきたが、本当にサイレントマジョリティの意見を酌み入れて制度設計しているかというと、まだまだ不十分なことがあります。
当区においては、私が社会調査の仕事を専門にしていたことから、社会調査のツールを導入して、区民全体とか、あるいはこれから小学校に就学する児童、保護者の声を聞いたりなどする手法を導入してサイレントマジョリティの意見を集めるという努力をしました。これはツールの1つであり、他の区においてもやはり、概念だけではなくて、実際にサイレントマジョリティの声を収集するために、どういう風にしたらいいか悩んでおられると思うが、それを具体的に踏み込んで、実施していく必要があると考えています。
【帯野委員】 私個人は、区担当教育次長がそのように判断して、保護者や校長が「完全な自由選択制の方が良い」ということであれば、それはそれで良いのではないかと思います。
それから、「大阪市全域」ということですが、私はやはり今日いただいた意見は傾聴に値することだと思うし、少なくとも参考にしないといけないと思います。というのは、私は住吉区がそういう意見に至った背景とは別なのですが、私はずっとこの議論を聞いていて、本当にわからないのです。それはおそらく私がそもそも学校選択制ということを議論する時に携わっていなかったということもあるし、私の能力の不足ということがまず第一だと思うので、後でしっかりと説明を受けたいと思うのですが、「学校選択制」というとどこでも自由に選択できると、西村委員がおっしゃったように、転校も、問題があれば自由にできると、普通はそう受け止めると思います。でも事実はそう簡単に、そういう制度にできないので「枠」がついていると。しかし、その「枠」というものを理解するのに、理解しなければならない「枠」があるということ自体に、仕方がないとはいえ、そこは1つ、私も努力がいりました。
その上で聞いていると、全市基準があって、しかも区独自の基準があって、指定校変更であるとか、学校選択制とか、いろんなものがあって、ずっと説明を聞いていてわからない委員がいるような制度を、本当に市民が理解できるのかな、というところが非常に心配です。やはり制度というものは、市民が努力すればわかるものでなければなりません。できれば努力をしなくてもわかるものでなければならないと思うので、我々はもう一度この学校選択制を議論する時に、今問題があるから、改善するために、より複雑には絶対にしてはならないと思います。やはりいろいろな区民の、市民の声を聞いて、できるだけ多くの市民の声を聞いて、よりシンプルに、より分かりやすくするということを我々は心がけなければならないと思います。そういう意味では、区担当教育次長の意見は非常に貴重であると私は思いました。
【高尾委員】 実は、将来に向けた議論とか、そういうこととは少し違うのですが、小学校、中学校の校長達がいろいろと発言していることについて。短絡的かもしれませんが、私はこれを見て、認識の実態、それから現状の実態、それについて非常に残念な思い、それと同時に、大変苦労をおかけしているという思いがあります。
論点が大きく3つ程あるかと思いますが、そのうちの2つについては、制度導入以前から論議されて、きちんとそれなりに結論が出てきたことであるが、まだこういう発想が続いているということに1つは驚きを禁じ得ませんでした。
例えば、ある方はどういうことを言っているかというと、「本来の学校選択制というのは、学校間の競争による教育の活性化が図られるとの趣旨だったが、この間の結果を見ると、その選択動機の多くが通学距離となっている」と主張しています。通学距離で選んではいけないのか。通学距離で選ぶのは悪いことなのか。距離というのは、やはり子どもさんにとっては非常に重要なファクターです。端的に昔からの言葉で言えば、「地域」というのがまさに距離を意識した、その概念上にある言葉である。「選ぶ」ということは、非常に大切なこと、これは一市民、一個人の重要な権利だと思います。その第一歩として、距離で選んでどこが悪いのか。大阪がやった初めてのことです。「距離なんて問題じゃない」、「とにかく指定した学校に行きなさい」というのが、これまでの導入以前の姿でした。それが1点。
それから、このように言っています。「公立学校の良さは、どの学校でも同様の教育を受けることができるというふうに考えている」。これ、言葉は非常にスムーズかもしれませんが、よく考えると、皆さん少し違和感を感じるところがないでしょうか。つまり、目線の位置です。主語は確かに児童の立場をうまく表現しているように思いますが、同じ教育を受けることができるということは、実はそう言いながら、同じ教育を授ける、子どもたちに授けるという目線がそこには、僕はあるというふうに感じます。
本当に大切なことは、同じことをやるということなのか。少し考えてみるとそうではなく、実は結果ではないかと思います。子どもさんたちが、どんな学校で、どんな先生についても、やっぱりきちんとした学力がついて、一定程度の学力がついて、社会でも一人前の社会人としてやっていける、あるいは国際社会においても活躍できる、そういったものをきちんと保障してあげる。もちろんそこには人格的なものもきちんとついているはずである。そういうものをつけてやるというのが本来の目的ではないかと。「同様の教育を授ける」という観点ではないはずです。
そこで、今1つ問題なのだが、ではどうしたらそういう結果というのは客観的に保障されて、結果がついてくるかというと、絶対これは同じ内容の同じ教育をしただけではいかないと思います。なぜかと言えば、そこには当然、児童や生徒の特性があり、あるいは家庭やら地域やら、価値観、将来に対するビジョン、そういったものがさまざまあると思います。だから、それに応じて、いいものを育てていく。間違ったところがあれば、「それはちょっとおかしいよ」と指摘してやる。そういう風な特性をどんどん出していく。そうして、やっぱり一定のレベル、これだけは身につけてほしいというものをつけるというのが教育であろうと。
そういう意味では、教育において「特色」というのは不可欠なもの、不可分なものであろうと私は思っています。その中で、各学校でベストを尽くしていく。どうしたらうちの子どもたちがきちんとやっていけるかということを考えたときに、そこに特色が出てきます。決して私は、学校選択制における特色というのは奇抜なことをやるのではない、何かすごいことをやって新聞記事に載るということが学校選択制の趣旨ではないよということを何回も言ってきたが、理解されていないのか、という気がします。
それから、「学校間の競争による」という表現があるけれども、これは真の意味の競争ではないと私は思っています。おそらく想定されているのは、無秩序な戦争状態、そういうことを表しているのではないか。本当の競争というのは、協働を否定するものではない。お互いに学ぶという姿勢がそこには絶対あるはずです。
それから、2点目であるが、「地元地域との関わりが薄れる」というものがあります。でも、現状どうでしょうか。これほど地域との関わりがダメになった、地域が壊れてしまったという議論があるのでしょうか。実態があるのでしょうか。むしろ僕は逆だと思います。これまでになく、校長達、先生達、保護者の方も関心を持って話をするようになってきました。それはわずかかもしれませんが、大きな前進がそこにはあると思います。
また、私が関心を持っている防災や減災について、ある中学校の先生はこういう風に仰っています。「災害時に地域の力になれるのは中学生なのだが、遠くから来ている子はなじまない。地域とのつながりが薄れていくのではないか」。他所から来た子は放っておいていいのか。たまたま、別の事情でそこに来た子がいたとして、「なじまないからいいや」ということでいいのか。災害というのは、大人、子どもを問わず、どこに生まれてどこに育ったかということも問わず、ただそこにある、現存するということだけで襲いかかって来ます。そんな時に、こんな議論で進めていっていいのか。やはりそこにいるのは、同じ区民じゃないか。同じ市民じゃないか。同じ日本人じゃないか。同じ人間じゃないか。その観点が僕は非常に薄れているように思います。
仮に違った距離から来ている子がいるとしても、その子を見捨てるのか。その子はむしろ将来、2つの地域をまたいで発展する架け橋になるかもしれません。そういうことに思いを至しているのかなという気がします。その2つが、これまでにも随分と議論されて、あえてまた私が言わないといけないのかなと思いました。
もう1つ、追加して申し上げると、ある小学校の先生から、「学校選択制はいいけれども、高学年になって、遠距離通学などで選択したことに疑問を持った場合どうしたらいいのか。途中でその生徒が疑問を持ったらどうなるか」という意見が出されています。しかし、それが直接に、学校選択制全体をやめろという議論になるのでしょうか。
例えば、もう1つの裏をひっくり返してみれば、生徒が、学校選択制が導入されない段階で、指定されたままの学校に行って、「何で私はもっと好きなところへ行けなかったんだろう」、「変わりたいな」、例えばいじめがある、「そんなところより、私はもっと違うところできちんとした教育を受けられるところに行きたい」という疑問を持った子どもに対して、どう応えるのか。おそらく、私は、入ってから、選択した後に疑問を持ったということよりも、後者の方が多いと思います。また、私は子どもさんが親といっしょになした決断というのはきちんと尊重したいなと思います。
以上、雑多な問題であるが、ただ、私たちとして、やはり注意しないといけないのは、特別支援学校への支援については、きちんと取り上げていかなければ、対応を持っていかなければいけない論点であろうかと。これは真摯に受けとめて、現場に問題を聞いて、本当に学校選択制で受け入れるような体制作り、さらにその発展というのを、子どもにとってのベストな道を準備してあげることが必要なんだろうということが、私は学び取るべきだろうという風に思います。
私が今申し上げたことは、発言された校長がいない場で一方的に申し上げることで、本当にフェアでないかもしれません。もし事務局で、校長達に、「こんな意見を言う教育委員がいたけど、あなたはどう思うか」ということを聞く機会があったら、是非聞いてきてもらい、また、それに対する反論、学校選択制はやめるべきだというご意見があったら、紹介してもらいたいと思います。もしかしたら校長も地域の声を反映してそう言っているのかもしれない。私はそれを聞いてみたいです。
【大森委員長】 今後の見直しというのを考える上で、本日の住吉区の議案、つまり、小学校の2キロメートル制限条項を撤廃するということは、1つ大きな考え方をお示しいただいていると。つまり、選択の自由をできるだけ拡大していく方向というのと、帯野委員がおっしゃったように、できるだけわかりやすいシンプルな制度構造に、こうやって一定進捗して、経過期間が過ぎたところで、見直し、制度を再設計するにあたっては、そういう、選択の自由の拡大とシンプル化、制度の仕組みをシンプルにして、できるだけ保護者の方々、あるいは児童生徒にわかりやすくするということ。これは重要な原則のうちの2つだろうと思います。
それから、高尾委員が言及された、別に特定の学校、特定の校長という趣旨は全くないが、「公立学校の良さはどこの学校でも同様の教育を受けることができる」という、ある校長の発言があるけれども、現実には、公立学校であればどこの学校でも同様の質の教育が受けられているということはないということは、大阪に限らず、日本全国、あるいは世界中見渡しても厳然たる事実であり、公立学校であれば同様の質の教育が受けられるというのは、本気でそうおっしゃるならフィクションです。ただし、公立学校である以上は、一定以上の質の教育を保障すべきであると。それは学力という側面においても、あるいは問題行動、学校の荒れ、そういうものがないということにおいても同様ですが、一定以上の質を保障すべきであるということにおいては正しい。ただし、現実にその保障も、残念ながらなされていないということは、我々認めざるを得ないと思います。
大阪市において、学力の問題、それから生活指導の問題、特に厳しい現実、現状があって、それを目に見えて改善できていないということは我々の責任でもありますが、同時に、程度の差はあれ、日本全国あるいは広げれば世界中に、そういう問題、課題というのは程度の差はあってもあるわけであって、教育の質あるいは状況、そういうものに保護者、児童生徒が反応する1つの手段が学校を選ぶという行為です。
ただし、学校を選ぶにあたっては、必ずしも教育の質とか特色とか、そういった教育内容や教育方法に着目して選ぶとは限らないわけで、それは通学距離の方がその保護者や子どもにとって重大であれば通学距離を優先して選ばれるだろうし、それはもう選択する者の判断なわけです。それを、ある意味では2キロメートル制限条項というのは制約してしまっているわけで、子どもが通うべき学校を誰が判断するかというのは、保護者よりも行政、つまり教育委員会とか校長の方が、保護者よりも適切に一人一人の子どものための学校を選べる、指定できるという考え方が、今もって「就学すべき学校の指定」という日本の教育制度の根幹をなしているわけです。その例外として、自治体の判断で学校選択制を実施しても良いとなったのが数年前です。
だから、今もって行政の方が子どもや保護者よりも、どの学校がその子に良いかというのを適切に判断できると。子どもや保護者に判断を任せると危ないと、そういう考え方は、適切な日本語がないんですが、英語では「パターナリズム」と言いますが、まさに制度の根幹が、就学校の指定制度というのはそういうところに立っています。
それに対して、究極的には、西村委員がおっしゃったように、究極の姿としてはやはり、めざすべき方向は子ども、保護者がイメージどおり選べると。あるいは帯野委員がおっしゃったように、「学校選択制と言われれば、普通、自由に選べると思いますよね」という、まさにそれが究極にめざすべき方向性だと思います。そして、その制度の仕組みは、複雑さは極力排して、単純明快な方がベターであるということです。
あと、学校選択制というのは、教育行政あるいは教育政策の考え方、あるいは教育改革の考え方として、これ単独であることではなくて、先ほど、通学距離とかで選ぶことももちろん結構ですが、教育の中身、そこには部活ということも入って来ますが、教育の中身あるいは教育の方法、端的に学力の絶対水準というよりは、その学校に行けば、いる間にどれだけ学力を向上させてくれるかという意味での学力を上げる力、それから、もちろん生活指導上の問題があまりないようにするとか減らすとか、そういったことは校長や教職員の力によって大きく変わる部分であり、そういう部分への保護者や子どもの望む方向への変化というのを刺激するという意味での応答性というか、そういう意味合いも、通学距離なんかと並んで重要であって、どういう理由で選ばれようと、それは選択する方の権利、自由なわけであるけれども、その応答性という部分でいけば、本当は選ばれる学校になるためには校長が教職員をきちんとリードし、マネジメントできなければいけないわけであって、人事も含めて、自分の学校経営にふさわしい教職員を揃えるとか、そういったこと。ただし、校長は自分の在任期間中に、学力であれば、例えば中学校のチャレンジテストとか、大阪市で導入を決めた大阪市統一テストとか、あるいは全国学力調査結果、そういったものにおいて在任中にどう引き上げていくかとか、あるいは生活指導上の問題をどう減らしていくかとか、そういったものを校長に対して、できるだけ客観的なデータをとれるものはとって、きちんと責任を問うていく。同時に、人事も含めて、校長の権限を拡大していく。さらには校長と教頭の処遇を改善し、本当にマネジメントする職、つまり子どもや保護者が行きたいと思うような学校により良く改善していくことを、きちんと目に見える責任を問うとともに、その権限を持ってもらうと。そしてそれに見合う処遇、給与も含めてしていくというトータルの教育の仕組み、教育行政の仕組み、学校運営の仕組みというものがあることによって、本当は学校選択制の意義が今以上にプラスの意味を増していくわけなのですが、現状は残念ながら、大阪市においてもさまざまな工夫、校長の権限や裁量の拡大、予算面の、例えば校長戦略予算等も含めて、あるいは人事についても校長による教職員の公募とか、さまざまなことをやってきてはいますが、では、校長や教職員の意識、行動が大きく変わるというところまで、日本の制度の中で大阪の制度が変わったかと言えば、その制度も意識も十分には変わっていないというか、もっと率直に言えば、ほとんど変わってないというのが冷静な自己評価かなと私自身は思っています。
だから、そういう改革の方向性を、学校選択制に留まらず、その意味が持つ改革の方向性というのは、そういうものだと私自身は解釈、受けとめています。これは他の委員の皆様に解釈を強制するつもりは毛頭ございませんが、少なくともこれまで進めてきた改革は、大体そういう方向性をめざしてきました。ただし、現状は少しも実態が変わったと言える状況にはまだまだ全然ないと、私自身は自己評価しています。
【林委員】 私も、今回の提案に関しては賛成の立場をとっています。ここで議決されると、来年度から小学校も自由選択制になるということで、私が気になるのは、児童の通学の安全性です。小学校の校長の代表的な意見としても、やはり保護者責任ではありますが、学校としては不安があるという部分、ここをどう担保し、不安部分をある程度解消していくかということが大事ではないかと思います。
保護者責任であるということは明確でありますが、やはりそこの部分の具体的なところを説明会ではきちんと説明していかないと、選択してから事故、事件が起こっては困るし、保護者がきちんと責任をとれない状況になることもあろうと思いますので、そのようなことも想定しながら、やはりきちんと区としても対応していく必要があるのではないかと思います。
この議論の中で、区として安全確保は実施してきているという回答をしている部分がありますが、具体的に住吉区として取り組んでいることを少し聞かせてください。
【吉田住吉区担当教育次長】 今回の提案に関すれば、2キロメートルの内外で差を設けることにより、あたかも2キロメートルの中には区役所や学校に責任があるとなると、これは制度矛盾であるということから、この改正を提案いたしましたが、校長達には、校区の中であろうと外であろうと、公務員、校長も含めて、その安全の保障には責任があるんですよということを申し上げています。
区役所としては、通学路であるとないとを問わず、あるいは通学時間であるとないとを問わず、子どもたちの安全は保障していかなければなりません。犯罪者の数は変わらないので、ここを抑えればここに出てくるということになるので、区全体の安全を保障していくということに努めております。
先程お話させていただいたとおり、住吉区では子ども見守り隊の連携が非常に各地区でとられており、おそらく24区では、子ども見守り隊の連絡会というものを作っている区は、我が区をおいてはないと思っております。そうした横の連携とか、防犯カメラを公設置公営で、これも大阪市には今まであまり主流でなかった概念ですが、公設置公営で住吉警察の協力を得ながら設置したり、もちろんどこの区でもやっているように、防犯教室とか、ありとあらゆる策を通じて、時間を問わず、場所を問わず、子どもたちが安全に学び、遊べる環境に特に力を入れて、この3年間やってまいりました。
【林委員】 中学校では自転車通学は禁止であるという明確なルールがありますが、小学生が通う場合、保護者責任ということですが、具体的には、例えば公共交通機関を用いて通学するということも区の端から端ならあると思うのですが、このあたりに関してはどうお考えですか。
【吉田住吉区担当教育次長】 これは全市統一のルールがあるので、今、公共交通機関を利用してというのは想定しておりません。ただし、委員がおっしゃるように、今後のことを考えると、公共交通機関を利用して子どもたちが通学することに何の問題があるのかといったことも含めて、議論をする必要は今後は出てくると、私は個人的には考えております。
【林委員】 市のルールがあるということですが、全市に広げていくにあたっても、やはりこのあたりはクリアにしていく部分だと思います。
いろんなことが想定されるので、いろんなことを区として、また市として考えていかなくてはいけないというところがあると思いますが、もう1点、これを進めていって、枠も広げていってということになって、選択が進んでいくと、選択されない学校というものが出てくるのではないかと。そこに対して、教育委員会としてきちんと対策を打ちフォローしていく必要があると、今回、あらためて私は感じた次第です。
【大森委員長】 実は、ここの資料に載っている校長達が仰っていることは、別に何か特別なことでも何でもなくて、日本全国あるいは海外でも同じですが、必ず学校選択制に消極的反対ないし消極的な方、それは校長に限らず、一般市民の方であれ誰であれ、あるいはいわゆる有識者と言われる方々であっても、そっくりです。特に独自性などありません。これは熟議の段階から明らかでしたが、消極的な意見というのは大阪特有の何かということは全くなく、大阪に先行して、東京とか関東は随分早かったので、そちらとか、あるいは海外で学校選択制を実施している国であるとか、どこでも本当に驚くほど同じような理由で学校選択制反対とかやめるべきとか、はっきり言えばそういう意見、もう少し婉曲にぼかして言うにしても、挙げられる理由やトピックというのは本当にそっくりです。
私は、最終的にはこの議案に賛成であり、具体的な住吉区の議案の中身、2キロメートル制限撤廃という判断に賛成するのですが、もちろん通学の安全の確保ということをきちんと詰めなければいけません。ただ、先程申し上げたように、パターナリズムという片仮名を使って恐縮であったが、やはり根本のところは誰がその子どもの教育、その子どもの通う学校を選ぶ、判断するというのが原則であるべきかという根本のところ、それを、2キロにしろ何キロにしろ、あるいは通学距離、あるいはそれ以外の事由でもって行政、教育委員会や学校等行政サイドが制約するのではなくて、根本原則はやはり当事者に決めてもらう、判断してもらうというのが根本的なところで、では交通の安全であるとか、犯罪に遭わないとか、そのための工夫というのを地域の方々の協力も得ながらやっていくという行政としての責任を十分その上で果たすということで、それがあるから選択はダメだという考え方は、私はおかしいと思い、パターナリズムという片仮名を使って申し上げた次第です。
採決の結果、委員全員異議なく、原案どおり可決。
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優れた教育委員をしっかりサポートできる有能な教育委員会事務局をつくり上げていかねばなりません。