青木葉台展望台からさらに登ると旗立松およびその展望台。

備中(岡山県)において毛利方を陥落寸前にまで追い詰めていた豊臣秀吉は、本能寺の変の翌日、天正10年(1582年)6月3日夜、織田信長の悲報を聞きました。

秀吉は直ちに、明智光秀との戦いを決断、夜明けまでには、毛利方との和睦を成り立たせました。6日昼過ぎには秀吉軍は山陽道を東へ向かいました。これを「中国大返し」と言います。

光秀の誤算は、秀吉の余りにも早い決断と行動、そして、経済・技術改革を実行した信長の人望の厚さでした。

天下分け目の天王山の戦い(山崎の合戦)の火蓋が切って落とされたのは6月13日の夕刻。秀吉は天王山に駆け登り、味方の士気を高めるため、この松の樹上高く軍旗「千成りひょうたん」を掲げたのです。

展望台からは山崎の古戦場が確認できます。

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